「妄想力の拡張」をテーマに、生と死、愛、痛み、などの広大な妄想/想像力が解放されることを目指し、そのための装置として作品を創っています。

 インスタレーション作品を発表することで、身体の境界を揺るがすような作品制作を目指し、個と世界との関係について考えてきました。

 

 私にとって切り紙は、「美術」という、西洋からもたらされ白人男性主体の価値観を礎にした強靭な制度の、外にあるものです。

 紙を切ることで造型された民芸品は、世界中にあります。例えば中国の剪紙(せんし)は、玄関や窓などに飾られる民間の工芸品です。動物や花などの様々な紋様によって、寓意が記されています。かつては農村の女性にとって花嫁修業の一つだったと言われています。東アジアにおいて切り紙は、中国大陸から朝鮮半島を経由して日本列島に届いた、たくさんの文化のうちの一つです。日本では染織の型紙や、神道や民間の儀式空間で用いられてきました。メキシコでは、「死者の日」という祭日に、パペルピカド(穴をあけられた紙)と呼ばれる極彩色の切り紙が街中の空間を彩ります。そして、デンマークの童話作家として有名なアンデルセンは、子どもたちの楽しみのために、自作の童話を読み聞かせながら、即興で様々な切り紙を切って見せました。今も美術館に残っているものもありますが、多くはその場の鑑賞者である子どもたちに贈られたそうです。

 切り紙の造型は、特権的な技術や空間を必要としない、弱さとしなやかさを合わせ持った豊かな存在。また、生や死にまで及ぶ広大な空想について物語ることに長け、所有や資本の概念とは違う価値感を表すことができるものだと感じています。

 

 何かを信じるということは、私達がこの世界で行きていくための礎となります。性別、家族、コミュニティー、国家。世界と関わって行きていくために、人は目には見えない何かを創造し、信じます。そうすることで、この世界で生きるための素地を手に入れたかのように感じることが出来ます。今、ここに存在すると信じることですら。

 そして、それらはとても移ろいやすいものであり、信じることや、信じる対象自体が、政治や天災、もしくはもっと些細な日常の何かによって、いとも簡単に破綻することがあります。現代においては、東日本大震災や、新型コロナウィルス感染拡大により、これまで信じられてきた物事や人との関係性が大きく破壊され、変化しています。

 そんな中にあっても、何かを空想したり、妄想する力は、何かを信じる力にしなやかさを与えるものにはならないでしょうか。そういった力の芽に触れられるような制作活動を目指したいです。

 

 また、近年は、ジェンダーについての関心を深めています。フェミニストとして、自身の中に無自覚にある差別心や、空気のように社会に蔓延する差別的な価値観についての気づきになるような制作態度を示したいと考えています。